人間には必ず「個人差」というものがあります。それは中学生も同じことですね。

それでは、個人差と個性は何が違うのでしょうか?

随分と以前から学校教育において個性を豊かにすることの必要性が叫ばれています。
大学受験でも共通一次試験(現在の大学入試センター試験)が1979年に始まって、
その共通一次を受験した世代の人々は共通一次世代と呼ばれて揶揄されたものです。

要するに画一化したテストの結果として個性がなくなったというようなことです。

最近では、ゆとり教育の世代が同様に社会では個性がないとか、仕事が出来ないと揶揄されたりします。
まあ、それならば共通一次世代以前の方々や、ゆとり世代以前の方々は、
さぞかし個性豊かで素晴らしい人たちなのかどうかについては何も言いませんが、
(今回お伝えしたいことと趣旨が変わりますから、別の機会にします)
そもそも個性とは何でしょうね。

 

往々にして、それを評価する者が「良い」と判断出来る個人差を個性と言うように思います。

 

つまり、中学生で言えば学校の先生が優れていると判断する個人差は個性と呼んで、
先生にとって好ましくないと思える個人差は欠点と呼ぶのではないでしょうか?

これは社会に出てからも同じことで、雇用主や上司から見て、
自分にとって好都合な個人差は個性と呼び、不都合な個人差は欠点と呼ばれるものです。

個人差と個性について都合よく使い分けられることは、中学生に限ったことではなく、
人生の至るところで困った問題だと思います。

そして、今回一番伝えたいことは、これも中学生に限ったことではないのですが、
人には個人差があるにもかかわらず、それを無視して都合よく解釈しないことが重要だということです。

たとえば、中学生の多くが「勉強のやり方がわからない」と言いますが、
実は、ある意味それも無理のない話で、ある中学生が成績アップした勉強法があるとしても、
その勉強法が、すべての中学生にとって良い勉強法だとは限りません。個人差があって当然なのです。

ですから、重要なことは自分の個性(個人差)を良し悪しを考えず正確に判断して、
自分に合った方法を自分で作り出せるようになることだと思います。
あるいは、人から聞いた方法をそのまま実行するのではなく、自分で修正することですね。

しかし、まあ、この判断が大人でも難しいことは確かで、
たいていの場合は、自分に好都合に判断してしまいがちです。

中学生で言えば「自分は勉強に向いていない」と言う中学生のほとんどが判断ミスをしていると思います。

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